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僕の法政大学史52 2012年10

残された時間は、2週間。
法大デモへの決起をゆとり全共闘のメンバーに提起した。また、ゆとり全共闘の同志だけでなく、以前法大で共に学内規制に対して声をあげてくれる人たちにも、とにかくこの日だけは、法政大学に来てくれ、法政大学を見てくれと呼びかけた。


ゆとり全共闘では分派の影響、法政大学の友人ではこれまでとの動きの違いもあり(前述の通り僕はこれまでに文連・全学連の法大デモに参加したこともない)、支援や賛同に難色を示す人も確かにいた。でも中には、説明を尽くすことで積極的に支援してくれる人、共に決起してくれると約束してくれる人もいた。難しい情勢と難しい方針の中で一緒に立つのは、簡単なことではない。同志たちに心の底から感謝をした。
僕は、僕たちは、残された時間の中で出来る限りの準備を進めた。


このときに僕たちは「ノンセクトとしてノンセクトらしく戦おう」「各人でできる範囲でがんばろう」という方針を立てた。

細かな動き等はここでは避けるが、大きくはキャンパスを学生で圧倒すること、パワーバランスを変えることを目標とした。イメージとしては2006年6月15日、恐らくは今よりも法政大学が大学として機能していたころの風景を一瞬でも取り戻すことを目指した。しかし、弾圧の熟練度を高めている法政大学は、デモの際に人と障害物により、防波堤を築くようになっていた。
目的を達成するのは決して簡単なことではないことはわかっていた。

2006年6月15日の法政大学
2006年6月15日の法政大学



「各人でできる範囲でがんばろう」という方針であったが、僕個人としては逮捕までを想定に入れていた。というか、僕が逮捕されるのが運動的にはベストなのではないかと考えていた。文連でも全学連でもなく、しかも法政大学の学籍を有した法大生である僕が、怒り行動し、逮捕される。法政大学当局の「学外者による迷惑行為」という主張にヒビを入れられるし、またゆとり全共闘も多くの人の目にも触れる。僕が関わってきた、そして今後も継続して欲しい事柄、全てにおいてそれが一番良いように思えた。

しかし、この方針には批判と心配も集まった。
当然と言えば当然で、僕は今まで逮捕を想定にいれた行動や方針を取ることはなかった。10月19日は法政大学に行かないでくれ、と泣きながら訴えられることもあった。でも、誰に何と言われようが、この方針を貫徹するしかないと思っていた。心配の声に心が痛むことはあったが、迷いはなかった。もはやそれしか運動の継続性を勝ち取るための選択肢は見えなかった。

6年間に及ぶ学生生活で、僕は変化していた。
以前だったら、法大デモに参加しようと思わないし、自分が逮捕されてもいいとは絶対に思わなかった。僕は決起しない側の人間で、決起する人間との間には明確な太い線があった。でもいつからか、僕の僕個人の行動に対する判断基準において、自分の重要度は大きく下がっていた。もっと別の重要度の高い判断基準が生まれていた。その判断基準は、見えないし、不安定だし、自分はどんどん難しい状況に追い込まれていくかもしれなかった。その中でも、僕はその何かわからないものを信じようと思った。




残り少ない時間の中で、自分にできる限り、動き続けた。このままでは、これまでの全てが終ってしまうという強い危機感があった。なんとかして未来を切り開きたかった。

そして10月19日、法大デモの日を迎えた。
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先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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