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僕の法政大学史46 2012年4

救援活動において、中心となったのが毎日のビラ配りだった。僕たちは連日裁判所前で文連・全学連と共同でA逮捕の不当性を訴えるビラ配りをした。


ビラ配りの様子は公安警察に監視され、終了後は尾行された。こういった嫌がらせの類いは、法政大学では日常的な光景であったが、外での僕たちゆとり全共闘としての運動では、ほぼ経験したことがない事態だった。明らかにこれまでとは様相の違う行動となっていた。

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ビラ配りの様子


ビラ配り・カンパのお願い・法政大学への抗議文の提出などを平行させるなかで、事前に予想していた通り、文連・全学連との共同の救援体制や方針に対する批判もあった。「なぜノンセクトだけで救援しないのか」「毎日のビラ配りに意味はあるのか」「Aは活動家ではないのだから、黙秘しないで出てくればいいのではないか」などの声があがった。


僕は、もっと効果的な方針を打ち出し、人を集めて、実際に行動に移せるような人がいれば、それに反対しなかったと思う。これ以上批判されたくも、責められたくも、嫌われたくもなかった。むしろ、誰か他に適任者がいるのなら代わって欲しいくらいだった。しかし、「救援費用・弁護士はどうするのか」「獄中のAはどういう態度をとるべきなの」といった問いに具体的に答えられる批判はなかったのではないかと思う。これまでとは全く異なる行動に対して懐疑的になるのは無理もないと思う反面、反対意見や方針外の行動を聞くたびに、僕は、苦しく不安になり、また苛立ちを感じた。
 

また、このときは話し合う場所がないことも響いたのではないかと思う。
3月にたまり場となっていた僕の部屋を解約していたことで、時間を気にせず不特定多数で話せる機会が激減していた。2者間、3者間での話し合いはできても、開かれた場所で、意見の共有をする時間を以前のように持てなかった。日々のビラ配りと錯綜する感情と情報、救援という難しい状況において、場所がないということはあまりよくない影響を与えたかもしれない。


救援において、もう一点印象的な出来事がある。
A逮捕の当日、齋藤君と二人でご飯を食べに行く機会があった。全ての話し合いを終えた後だったのではないかと思う。同期の中では、増井君と二人で会うことはよくあったが、齋藤君と二人でというのは久しぶりで、約2年ぶりのことだった。

会わない間に僕も僕で変化もしたが、この時には齋藤君も斉藤君で、ノンセクトではなく全学連委員長になっていた。

このことで、僕の周りには「昔の齋藤とは違うんだ」とか「大人に操作されているんだ」など、聞いていてあまり気持ちのよくない話を耳にすることが時折あった。多分、以前の僕ならば、先輩の声を重く受け止めていたと思う。でも、いつからかそういった所属による判断やネガキャンに振り回されることをやめようと思うようになっていた。

僕に見える齋藤君は以前と変わらない正義心と誠実性のある優しい人間のように思えた。齋藤君はノンセクトであろうが中核派であろうが、僕にとっては信頼できる友達だった。

ただ月日は流れ、Aの救援という任務をお互いに責任を背負って全うしなければならない立場に置かれていた。やりたいことではなく、やらなければならないことが目の前にあった。2007年から6年が経ち、その月日は思った以上に重いものだった。僕は、僕たちは、何も知らず自由な大学1年生ではなく、客観的に見たときにはほぼ活動家のようになっていた。





5月10日、文連・全学連と共同の救援活動をやり抜き、Aが釈放された。Aは厳しい取調べに屈せず、完黙・非転向を貫いた。そして僕はもう一度、運動から離れた新しい生活の構築を試みる日々に戻った。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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