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僕の法政大学史32 2010年⑥

来年度以降の学内全面禁酒施行の説明会は12月22日に設定されていた。

当時の法政大学において、大学側が規制に対する説明会を開催するのは稀なことで、説明会開催の背景にはそれまでの交渉の影響が一定あったのだと思う。だから、ここを叩くことは重要でかつ、全面禁酒打破の可能性をつなぐ唯一の可能性だと思った。


この時は飲酒規制に反対の意思がある先輩・同期・後輩の30人以上に飲酒規制説明会で抗議しようと直接声をかけ、そこから各所属サークルのサークル員への協力もお願いした。この飲酒説明会での反対の呼びかけは、思っていた以上に精神を消耗するものだった。

人が30人いれば当然のことながら30通りの反応があり、その時々で質問や批判、不安に答えることが必要になる。それももちろん大変なことなのだが、何よりも困難さを高めた最大の要因は、少なくない数の人から「戦っても何も変わらない」「抗議したら処分されるでは」というような反応が返ってきたことだった。

就活デモでの高揚により忘れていたけれど、法政大学というのはこういう大学だった。
法大内では依然として抗うことに対して冷ややかであり、また拒絶的な態度があった。戦っても無駄、戦ったら処分されるというような意識が多くの学生に植え付けられていた。
僕は、ここに白石君や本間君がいればと、心の中で少し寂しく思った。「一方的な規制はおかしい」「学生センター長にウイスキーをかけてやろう」というような景気のいい事を言って、励ましたり、笑わしてくれるだろうと考えた。


この辺りの気持ちの揺れをさらに強くさせるものとして、就活どうにかしろデモ実行委員会のデモ後の動きもあった。
僕が飲酒規制説明会反対の呼びかけを進めているころ、就活どうにかしろデモを共に行ったメンバーは院内集会の準備に取り掛かろうとしていた。こういった動きに対して、就活デモ実としての活動にはきっちりとけじめをつけて法大に戻ったはずなのに、心の中には多少気持ちがひかれる面もあった。

全大学生の就職問題を改善しようとする活動と、一つの大学の学内で飲酒できるか否かという行動。
前者は志を共にする仲間たちがいて、後者はそれなりの寂しさとむなしさを伴うものだった。



他に選択肢が現れ、しかもそれが自分のいる場所よりも魅力的に見える中で、僕を最後の最後で支え、法政大学に踏みとどまらせていたのは、意地のようなものだったと思う。

僕の中での法政大学は、齋藤君・増井君という友人が人生をかけてぶつかった場所だった。
そのことは僕の中で大きな意味を持っていた。例え共に戦うことがなく、戦いの方向に違いがあろうとも、僕は僕なりのやり方で、全力で戦いに臨まなければならないと思った。中途半端な形で離れるのは失礼であり、ここで逃げ出すようならば今後の人生で何をやっても大きいことはできないだろうと考えた。


精神的に負荷を強いられながらも、僕は僕にできる限りの準備をした。
そして、12月22日飲酒規制説明会を迎えた。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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