FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

僕の法政大学史26 2010年1月

2010年1月大学が突然に飲酒規制の延期を発表した。

飲酒規制の具体的な規制内容を大学側がすでに記していたこと、学生センターへ抗議文を出しに行った際の「飲酒規制は今年度中に絶対に設ける」という当時の学生センター長の発言などから、あまり分のいい戦いではないと思っていたので、この時の決定にはとても驚いた。あまりの奇跡的な勝利にOBは神楽坂の路地に入った高そうな料亭にまで連れて行ってくれた。規制の延期という法大においてありえないことが起こってしまった。


「なぜ法大が決定していた規制を延期したのか」の分析はいくつかある。
僕もこの時「なぜ勝てたのか」については色々と考えたけれど、時が経ち、他の負けた闘争などと比較できるようになり、09年度飲酒闘争が勝てた理由について自分なりの確信をもった結論を出せるようになった。

要は大学はこの時、文連・全学連と新たに出てきた学内の勢力がもしも手を組んだら面倒な事態が生じてしまうと考えたのだと思う。

2009年12月末、斉藤君・増井君をはじめ5月以降拘置所に拘留されていた文連・全学連の中心メンバーが保釈されていた。大学は2008年~09年にかけて文連・全学連に相当苦しめられていたし、その歴史を繰り返すことを嫌がったのではないかと僕は思う。


僕たちが行った抗議行動は2004年の学館解体以降とほぼ同じレベル・もしくは劣っているくらいであった。そのため文連・全学連中心メンバーの保釈という他の闘争とは異なる条件がなければ学館解体以降の他の歴史と同じように敗北していた可能性は高いのではないかと思う。もちろん僕たちの署名活動や抗議文の提出などがなければ飲酒規制は延期されなかっただろうけれど、それだけでは勝つことはできなかった。08年~09年度までの積み重ねがあったからこそ、規制を延期することができたのだろうと僕は思っている。



初めての闘争に勝利し、斉藤君や増井君も保釈されたわけだけれど、僕は彼らに会いに行くという気持ちになれなかった。また増井君に関しては「僕を含め数名に会ってはならない」という保釈条件がついていたので、仮に僕が会おうと思っても会うことはできないという状態にあった。


僕の中にはまだ後ろめたさや申し訳なさがあった。
それは僕が斉藤君・増井君がいなくなった法大において戦ったとか、その闘争で勝てたとかそういう事は関係のなかった。会ったとしても、謝ればいいのか、それで許されるのか、自分はそれで満足なのか、飲酒闘争の報告をしたからといってどうなるのか、気持ちの整理がつかなかった。


友人の逮捕・起訴、取り調べ、初めての闘争と人生が変わるような経験の連続だった2009年度はこのようにして終えた。
スポンサーサイト
プロフィール

自由空間

Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
カテゴリ
フリーエリア
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。