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僕の法政大学史24 2009年12月

2009年12月、情勢が動いた。

大学側が来年度から学内を全面禁酒にするという飲酒規制を設けようとしているという情報が入った。法政大学では、学生にとって都合の悪い規制は決まって後期末に通達されるのだが、それが2009年にもあった。

このときの衝撃というのは人によっては07年のサークル本部解体以上のものがあったのではないかと思う。
当時の法政大学は構内のセブンイレブンでお酒が売られていて、講義が終わった後に一杯、サークルの会議が終わった後に学内でお酒を飲みながら交流というのが一般的だった。普通の文章系サークルや音系サークルなど、ゼミの終わった学生も学内でお酒を飲んで交流というのは当たり前のことで、それは学内の文化・風景の一つであった。
そのため学生との事前交渉も何もなしに来年度から酒を飲むなと言われてもとても納得できるものではなかった

このとき僕はすぐに抗議行動を行うことを決めた。

抗議行動を行う動機・抗議行動を応援する人の理由として一般的には、一方的に決められようとしている飲酒規制および、飲酒規制に象徴される大学側の一貫した学生軽視の姿勢に対する不信感が当然あったと思う。しかし、僕の中ではそれとは別の感情もあった。

暴処法弾圧から半年以上がたち、落ち着いて考えてみる中で、次は自分がやらなければならないという使命感のようなものが芽生えてきていた。学内には、もう文連はいない、中核派もほとんど学内に入れない。自分たちの周辺以外で大学の規制に対して抗議活動を行うような集団も恐らくもういない。そのため自分が主体性を持って抗議活動をしなければならないと思った。
それが斉藤君・増井君とともに文連を残し、逮捕されるまで何をすることもなく静観し続け、最終的には友人たちを検事へと売ってしまった自分の責任であり、また贖罪であるような気がした。


このときの抗議行動に主体的に関わったのは5名であった。
人数は少数、状況は劣勢、法大において大学側の決定が覆った経験は近年にはなし。抗議行動を始める前の見通しは決して明るくなかった。学内には正体不明のヤクザ職員がいまだ闊歩しており、抗議行動が大学によって排除されるのではないかという予測も事前には立てていた。


しかし、振り返ってみると、このときの闘争は法大の中では極めてまれな学生側が勝つ闘争になった。飲酒規制は延期され、2010年度は学内で飲酒できる環境は何一つ規制がかけられることがないまま守られることとなった。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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