スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

僕の法政大学史22 2009年5月16日~6月上旬②

5月15日に取調べが終わったあとも、公安警察は何度か僕に接触してきた。

朝起きて家の外に出ると「やあ、菅谷君」と公安警察がいるということもあった。僕は当時、何でこんなことに巻き込まれているのだろうという不思議な気持ちと、これからどうなってしまうのだろうという恐怖を強く持っていた。精神的に不安定になり、体調を崩し、病院に行ったところ胃腸炎と診断された。

公安警察は僕への接触の中で、「検事が君に会いたいと言っているからもう一度来てくれ」と持ちかけた。その理由は前回の確認をしたいということだった。

このことを救援の人達に話すと、「行かない方がいい」とアドバイスされた。何度も何度も「行かない方がいい」と僕のことを説得してくれた。
大学の友人は、「君がもう一度検事の元へ行っても許すのが友情なのではないか」「学生運動しているわけではないから、仕方がないよ」と僕に話した。

もう一度検事の元へ行くか行かないかで、僕の気持ちは大きく揺れた。
僕は家では公安警察、大学では入構チェックや尾行を気にしなければならないという生活をやめたかった。それが前回の確認で終わるならば、それでいいのではないかと思った(もう一度会いに行けば終わるという保障はなかったのだけど、当時の僕はそう考えた)。それに、僕の知っていることはもう何もないのだし、前回以上のことは出来ないだろうと考えた。

悩んだ末に、僕はもう一度検事に会いに行くことにした。

しかし、検事に会いにいくと前回の確認はほとんど行われず、「裁判長が待っているから裁判所で話してくれ」ということを言われた。僕の知らない間に公判前証人尋問というものが行われることになっていた。

僕はこのとき本当に悔しかった。騙されたと思った。救援の人達の言葉を聞いておくべきだったと後悔した。
検事の目の前で「何でこんなことをするんですか」と泣いた。でも、僕がどんなにここで泣いても、既に検事側の陣地につれて来られているので、どうしようもないことはわかっていた。覆すことのできない力の差があった。

僕は前回の取調べで行われたビデオを見て「これは○○さんに見えます」ということを、今度は裁判所でやった。自分が以前以上に軽薄な薄汚い人間であるように思えた。それと同時に、一刻も早くこの場所から解放されたいという気持ちも持っていた。そのため、僕はできるだけ淡々と答えた。


公判前証人尋問が終わり解放された後、携帯電話が返ってきた。誰かに連絡しようと思えばできたのだけど、誰に連絡すればいいのかわからなかった。
僕はしばらく一人で歩き、獄中の齋藤君と増井君のことを考えた。
スポンサーサイト
プロフィール

自由空間

Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
カテゴリ
フリーエリア
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。