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僕の法政大学史15 2008年4月⑦

ゴールデンウィークの始まる前日にサークルの顧問の先生から僕の携帯に電話が来た。
僕はそれまでサークルの顧問の先生に会ったこともなく、もちろん連絡がくるのも初めてだったのでとても驚いた。


僕は齋藤にも増井にも話すことなく、僕一人の判断で顧問の先生の元へと向かった。翌日からサークル合宿があり、僕はそこでサークル員に文連の本部員をしていることについて説明することになっていた。そのため、顧問の先生が僕に何か話があるならば会っておいた方がいいという判断だった。


この時はサークル顧問の先生と話している途中に当時の法政大学学生センター長も加わり、顧問の先生と学生センター長二人に「文連本部員は辞めたほうがいい」「文連に残ると新しいサークル本部に移ることができないので、サークルに対して補助金が与えられない」という趣旨のことを話された。法政大学学生センター長まで出てきたことは、完全に僕の想像の域を超えていて、僕ごときの行動が何故これほど大ごとになっているのか理解できない部分もあった。


後でこの時のことをノンセクトの法大OBに話すと、OBの方はこんな予想を示した。
大学側は早い段階でノンセクトと和平を結びたかったのではないかと。そのために僕をダシにしてノンセクト側のトップ(その時でいうと恐らく齋藤)を呼んでもらい、話をつけたかった。
しかし、当時の僕は今よりもさらに学内政治に疎い人間なので、誰にも相談もせずに一人で行ってしまった。



今となっては大学側の意図がどこにあったのかはわからないが、結果として僕は大きな抵抗もなく屈服した。


サークルの中では僕が文連の本部員をしている事に対してあまり良く思われていなかったし、補助金が下りなくなったら更に大きな迷惑をかけてしまうことになることはわかっていた。これ以上はサークル員を説得できないだろうと思った。


また、後から聞いた話ではサークルの同期の間で、僕が文連本部員に残るならサークルをやめるという議題をサークル会議にかけようとしていたらしい。そのような議題があがったら僕は、本部員をできなくなる。どちらにしろ僕は本部員を長く続けることはできなかった。


そして、正直に言ってこの話により安堵した部分さえあった。


突然に訪れた終わりのない非日常に僕は不安になっていた。
できることなら、ジャージ部隊に撮影されずに学生生活をおくりたいし、友達に中核派扱いされるのも苦しかったし、サークル員に迷惑もかけたくないし、大学とも戦いたくなかった。

僕は今よりももっと弱くて、齋藤や増井のように自分の意思を貫き通すことも、先輩方のように現状を認めて大学に対して降参することもできなかった。おかしいことにおかしいと言えても、ちょっとでも自分の身に危険が迫ったり、周辺の人間関係が壊れそうになると、簡単に口を閉ざしてしまうような弱い人間だった。


結局、文連本部員としての日々は二週間程度で終わることになり、何も出来ないままに僕の08年の4月は終わった。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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