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僕の法政大学史6 2008年2月

2008年の2月にGLCが行われた。GLCというのはグループ・リーダーズ・キャンプの略で夏季休暇と春期休暇の年に2回、それぞれのサークルの常任担当者が集まり二泊三日で行われる合宿のことであった。GLCは学友会が再編された2008年以降は行われなくなった。

GLCは、学内問題などについて長時間かけて話し合うので辛い面もあるのだが、安価な値段で温泉旅館に泊まることができ、かなりの量のお酒や食べ物を飲み食いできるという贅沢な面も持っていた。

なぜこのようなことが出来たかというと、GLCは07年にちょうど問題になっていた学友会費から賄われていたからである。GLCの予算の大半もサークル本部に与えられた学友会費によるものだったと記憶している。要は学生が学費として支払ったお金の一部を使用して温泉旅館に泊まっていたことになる。

断りを一つ入れると、僕はGLCを否定するつもりは一切ない。ここではGLCを可能にしていた背景に学友会費の存在があったということを述べておきたいだけである。
現在の法政では学生が大学について話し合う場は皆無と言っていいし、他サークルの人と知り合う場所も少なくなった。法政大学からGLC的なもの、あるいは常任的なものが消滅してしまったことが学生の大学に対する関心を低下させた一因であると考えている。


前回書いたようにこのころ僕は全くサークル活動にも常任にも参加していなかったのだが、当時の先輩が「行っておいで」と声をかけてくれたことでGLCに行くことができた。先輩が僕に声をかけてくれたのは、僕が常任に来ている人たちと親しかったことと、「このままではサークルを辞められるかもしれない」という気持ちが多少あったのかもしれないと今になってみると思う。そのような事情から僕は久しぶりに学内の問題に戻ってきた。

この時には来年度から学友会費ではなく補助金となることは完全に諦めたようで、サークル本部を今後どうするかというのが大きな焦点だった。サークル本部は各サークルに学友会費を分配することが大きな役割の一つだったので、その役割がなくなれその体制を維持する必要性は薄くなる。

この議題については多少の意見の違いはあったのだが、最終的にはこのままの文連の形で来年度もやっていうこうという結論になった。「お金がなくなっても今まで通りにみんなで頑張ってやっていきましょう」という具合だ。


今になってみると、このときの選択は茶番、本当にひどい茶番だった。
2008年の4月の時点でこのときの決定は完全に破綻していて見る影もなくなっていた。GLCでは文連を残すことのリスク、そのことで生じるかもしれない危険性は何一つ話されはしなかった。僕たちは酒を飲み、円を作って校歌を歌い、「文連が残った。よかったよかった」と宴会を楽しんだ。
百万円以上の学友会費を使用して行われたであろう議論は2ヶ月も有効性を持たなかった。






GLCではもう一つ書いておかなければならないことがある。
最終日の夜に以前、ドイツ研究会(中核系サークル)の排除を提起した本部員に対する糾弾が行われた。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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