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僕の法政大学史② 2007年4月中旬

僕が始めて中核派を目の前で見たのは、入学してすぐの4月中旬のことだ。

今では信じられないかもしれないが、当時はまだ学内に中核派が入ることが出来て授業前に演説をするなんていうことは度々あった。
確かこのときは「韓国やフランスでも学生が戦っている。日本の学生も戦おう」と言ったことを演説していたような気がする。


僕は「この人たちは何なんだ」と、少しの恐怖と興味を持った。理由は演説している人があまり学生に見えなかったことである。

その後、中核派の人達はビラを配り始めたのだけれど、中には明らかな嫌悪感を示してもらわない人もいた。
僕はこのとき戸惑いながらもビラをもらった。それを隣にいた友人は冷ややかな目で僕を見てビラに触れさえしなかった。


哲学科というのはもっと俗世間から外れた変態みたいな人が多いと期待していたので、そのときの雰囲気は少し残念だった。

僕はこのころ今よりもずっと田舎者で、中核派という組織がどういうものか知らなかったけれど、たかだか授業前に入ってきて演説してビラを配って帰っていっただけの団体にそこまで強い嫌悪感を示さなくてもいいのではないかと思った。まして哲学科に入るような人間なのだ。


それからも何度か学内で中核派を見かけることがあったのだが、僕が直接関わりを持つようになったのは5月以降のことである。

そのころは文化連盟、第二文化連盟、学生団体連合というサークル本部があった。僕が入ったサークルは文化連盟に所属していて、週に一度の常任委員会という会議で定期的に顔を合わせることになった。

そしてこの2007年を最後にサークル旧三本部は解体される。
最初にその話がサークル員に降ろされたのは6月のことである。僕は一年生なりにその話にとても驚いた。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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