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僕の法政大学史49 2012年7

7月以降、少しずつ確実に関係性の変化が進んでいった。そして、それは間違いなく良い方向の変化でないことは明らかだった。



7月のデモを終えてしばらくして、中心となった6名のうちの2名がほぼ運動を離れた。またもう1名も精神的に不安定になっており、前線に立つのは難しい状態になっていた。その間、新しい人を運動に加えることもできておらず、身体性を伴う行動に、継続して主体的に動けるであろう人数は3人。集会・デモ・抗議行動などを打つのは難しい状態になっていた。


また、新たに居場所(以下、りべるたん)の運営をめぐって内部的な不和も目立ち始めていた。不和の根源となる問題自体は以前から僕たちの中にあるものであったが、上手くいっていないときというのは、それまで我慢していたことや抱えていた矛盾が表に出やすくなる。話し合いの内容は次第に、「これから何をするか」といった運動や居場所を前進させる内容から、「○○の行為・態度について」など、どちらかというと総括的な側面の強いものへとなっていた。


恐らく僕たち(ゆとり全共闘)の中の多くの人が初めて出会い、集団として活動を開始した2011年ころから、多くの問題を孕んでいたし、関係性の危うさは内在していたと思う。その中で、キャンパスで行動すれば一定人が集まる、デモをやればそれなりに成功する、仲間がどんどん増えていくという好循環が問題を見えなく、また総括をおろそかなままにさせていた。しかし、このころになると根拠のない勢いや自信は完全に削がれていた。


運動における甘い果実のような時間は終わり、モチベーションは低下し、また弾圧も経験した。そして現実的諸問題や関係性内での不和をいかにするかということが主眼の期間に入っていた。その中で、議論というよりは、ケンカや誹謗中傷寄りのものも増えたし、恐らくは僕もそういったことをしたと思う。
こういったことは運動に戻ると決めた時点で、あるいは後輩が逮捕された時点で、ある程度考えられた事態ではあったけれど、実際に直面すると、寂しさや虚しさは少なからずあった。



問題が浮上し、関係性が少しずつ緊迫していきながらも、9月下旬にゆとり全共闘として総会を開くことができた。
そこでの話し合いとして、後期は各大学で原点に帰った行動をしようという方針に至った(参考)。今やれるところから少しずつ頑張ろうと、方針としては堅実なところに落ち着いた。ここから問題と向き合いながら、また通常のモチベーションで、現実的に実行可能なことから少しずつやっていくのがよいだろうと思ったし、またそれ以外に取れる選択肢はなかったのではないかと思う。


しかし、結果としてこの方針はほぼ実行されることはなかった。前期総会から数日経ち、ゆとり全共闘とりべるたんを二分する事件が発生した。
そして、10月が始まった。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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