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僕の法政大学史47 2012年5

Aが釈放され、僕はまた運動から距離を置いた生活に戻った。


Aを奪還できたのはよかったものの、僕の中ではこれで大学の問題(学費・就活・学内規制)を争点とした、これまでの僕たちの活動 ゆとり全共闘は収束してしまうだろうと考えていた。中心となる後輩のうち、1人は運動をやめ、もう1人は逮捕。飛車角落ちのような状態で、継続性を勝ち取ることは、非常に困難なことのように思えた。またこの頃は実際に全体として今後に対するモチベーションもあまり高くはなかったのではないかと思う。


このとき、僕の心の中で「自分は十分にやることをやった」という運動から離れてしまいたい気持ちと、このまま僕たちの、僕たちがはじめた運動が潰れてしまってもよいのだろうかという二つの気持ちがあった。行動としては、手探りで下手糞だったかもしれない。それでも、これは紛れもなく僕たちの運動だった。自分たちで問題を見つけて、気持ちを共有できる仲間を見つけて、方針を考えて、形成されてきた全てものを、「自分はやることはやった」「将来があるから」と冷静に少し離れたところから分析するだけで、終らせてしまってよいのだろうかと考えた。
救援を終えたあとでも、何とか行動を起こそうと奮闘する後輩たちの姿が目に映った。



結論から言うと、僕は運動に戻る道を選んだ。
悩みに悩んだり、思い切って決断したというわけではなかった。ただ、何となく漠然と「そうすべきなのだろう」という思いに至った。
「連帯求めて孤立を恐れず」、ノンセクトは世界中を敵に回したとしても、たった一人になったとしても、戦う覚悟を持つべし、そしてそういった覚悟を持った上で、信頼関係を構築していくべし、という以前聞いて目標としていた姿勢がある。あるいは、そういう理想とする姿勢に少しでも近づこうとする気持ちもあったのかもしれない。




また、もう1点個人的な事柄として、この時に始めて完全に覚悟を決めることができた。
それまでは心のどこかに自分は逮捕・処分されていないから普通の生活に戻れる、活動もいわゆる過激派と言われる層に比べると大したこともしておらず、全うな人生に戻れるという気持ちが心の中にあった。自分の行動や決定の際には、将来への不安や、運動への恐怖が少なからずあった。


そういった気持ちを多分この時にはじめて振り切ることができた。
今後どうなるのか全くわからない、心の中に全く迷いや不安がないわけでない。それでも僕は、一線を越えて「こっち側」で生きていこうと決めた。これまでも何度か瞬間的に覚悟ができたことはあったが、それまでとは違うレベルで、僕は自分の気持ちを固めることができた。



この時点で6月、状況は決して芳しくない。
それでも僕は、僕に賭けられる全てを残りの学生生活に投じることにした。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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