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僕の法政大学史27 2010年①

2010年は過去とは別種類のつらさに悩まされた。
2008年や2009年にあったような謎のジャージ職員や公安に追いかけられたりというつらさを感じることはなかったけれど、2010年には別の難しさがあった。08年・09年の瞬間的な尖ったつらさではなく、鈍いつらさがずっと残るような憂鬱が続いた。


2010年、僕は飲酒規制延期の延長から飲酒評議会という組織の委員長になった。
この団体は形式としては学生・教職員の意見をまとめて学内の飲酒ルールをつくるということを目的とした大学に存在を認められた公的な組織であった。2009年に飲酒規制を延期した理由が「確かに規制を設けるにあたって学生の声を聞かないのは問題だ」ということだったので、その理由を受けて大学主導の形で作られた。
この年は委員長となったことで大学の教職員と会話することが多くなった。昨年まで大学から散々ひどいことをされていたのに、突然委員長となり一定の力を認められたことに不思議な感覚があった。戦いに勝つというのはこういうことなんだろうと思った。


しかし、このとき委員長となったことは完全に失敗だった。
僕はこのころ、法大において管理強化が進んでいるのはサークル本部や学祭実の交渉が下手なせいだと思っていた。そのため自分が委員長をやって甘い誘惑や下手な脅しに屈することなく交渉を行えば飲酒環境を守ることができるのではないかと考えていた。

自分でやってみてわかったのだが、法大において学生側の交渉が上手いか下手かということは問題の決定に対して影響力はなかった。大学の決定権は強大で、木の棒を持って大砲相手に戦っているようなものだった。木の棒の扱いがどんなに上手くても大砲には勝つことはできないのと同様に、学生側の交渉力というものは大学側からすると全く問題ではなかった。
自分が委員長として行っている交渉が絶望的なものであり、大学側の「学生と話しあった」という規制を施行するためのアリバイ作りに使われるのではないかという不安は早い段階から持っていた。しかし、そこからどうすればいいのかがわからなかった。結局自分に課された業務に取り組むしかなかった。

この年のつらさの一つとして昨年共に飲酒闘争を回した浅井君が卒業してしまったこともあった。
先輩は数人残っていたけれど、どういう方針で臨むかというような戦略的なことを考えるタイプではなく、僕一人で方針を考えることが多くなった。また後輩との関係にも悩んだ。僕は後輩に、立て看を作ったり、ビラを貼ったりということは頼めるのだけど、これまでの学生生活の記憶から弾圧が考えられる局面に後輩を巻き込むことができなかった。結果として、この年に起こりそうになった飲酒規制以外の闘争も上手く盛り上げられることがなく終わってしまった。


2010年、僕は自分の行っていることに関して不安と孤独を感じることも時折あった。
体を張って弾圧する職員・口を使って学生を騙す教員をお金を使うことでいくらでも補充できる大学にうらやましさも感じた。
そのような大学に対して、どうすれば勝てるのか、本当に勝てることができるのかわからなくなった。
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自由空間

Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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