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僕の法政大学史11 2008年4月③

古典芸能連絡会議(以下、古芸連)委員長のOさんの立候補辞退を聞いたときは正直なところ、困ったことになったなと思った。

07年までの文連は約30サークル所属していたが、その30サークルの中でも被差別と古芸連は複数のサークルで意見が固まりやすいので発言権が強い。例えば僕の所属していたサークルは常任などの話し合いに向けて他のサークルと事前に方針を決めることはないが、古芸連や被差別は意見をまとめることができる。5サークル以上のまとまった声を会議で反映させることができた。

特に古芸連は大学から差別されているわけでもなく、本部員も多数輩出しているため強い影響力を持っていた。当時の僕の主観なので間違っているかもしれないが、文連の方向性は古芸連の決定で大方決めることができた。

僕が立候補を決めたときに、古芸連委員長のOさん、被差別の齋藤、無所属の僕なら全体のバランスも取れるし、現実的な問題として文連を残せるのではないかと思っていた。だからOさんの辞退には相当参った。



また、このころから文連を残すことの危険性を感じ始めていた。

例えば齋藤と二人で学内を歩いているところを、08年に導入された通称ジャージ部隊という職員が発見し、ビデオで撮影されるということもあった。これ以降しばらく続くのだが、会ったことのない教職員が僕のことを知っていることも度々会った。

ビデオ撮影や教職員が僕のことを知っていることくらいなら今思うと大したことはない。
しかし当時は自分がなぜ撮影や知らない職員に認識されなければいけないのか全くわからなかったし、今までそのようなことをされた経験がなかったのでかなり動揺した。


自分のことに対するダメージもそうだが、このころ大学の汚い部分が見えてくるようになっていた。

06年から中核派を中心にする大量逮捕は始まっていたが、当時の僕にとってそれはどのような意味を持つことなのか理解できずにいた。「大学が理由もなく逮捕なんてするはずがないし、中核派が何か悪いことをしているのだろう」と思っていた。


しかし、ジャージ部隊は中核派が学内にいるだけでも無線で連絡をとり、学外に追い出すということを行うようになった。何か違法行為を行ったならわかるが、学内にいて会話することも許されないようになっていた。実際に自分の目の前でそのような排除が行われていたのを見たときは、排除する側に対して強い恐怖を感じた。


これらのことを通じて僕の中で大学のイメージが変わり始めていた。表面はきれいで潔白に見えるが、少し踏み込んでみると残酷で強い暴力性を持っている、そう思うようになった。


そして文連を残そうとすることで、その暴力性に自分が立ち向かうことになってしまっているのではないかと思い、とても怖かった。次第に文連を残すことが正しいことなのかどうかがわからなくなり精神的に不安定な日々が続いた。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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