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僕の法政大学史8 2008年3月

3月に大学で何が行われたのか、僕は見ていない。

このころ僕は足を怪我して入院していたため、大学どころか世間からも離れたところにいた。

「本部員のTさんが大学との交渉で文連の公認権を取り消した」「Tさんが文連を除名された」「来年度の本部員がいない」「文連はもう潰れてしまう」などという断片的な情報は先輩からのメールやお見舞いに来てくれた他サークルの人から聞いていたのだが、僕には問題の重大さを現実感をもって捉えられずにいた。

言い方は悪いかもしれないが、遠い国の災害のニュースを見ているのに近い感覚だった。入院して大学に関わりを持てない場所にいる僕からすると「何か大変なことが起きてるみたいだな」という程度の認識しか持つことができなかった。

しかし、そこで行われていたのは遠くの国の災害などではなく、紛れもなく僕の所属する法政大学でのドロドロの学内政治だった。僕は2008年4月以降に事の重大さを身を持って知ることになる。




2007年11月下旬以降、僕は大学から離れていたが、退院したらまた大学に戻ろうと決めていた。
本筋から外れるので省いてきたが11月下旬以降、大学関連で印象的な出来事がいくつかあった。

まず自主法政祭があった。
この年、大学はキャンパス再整備ですっかりキレイになっていた。しかし「自主法政祭ですぐに汚くなります」と当時の文連委員長が言っていたように、自主法政祭でキャンパスは美しいまでにゲロやゴミや何かわからないもので汚れた。その風景を見てすごい大学だなあと感動した。

クリスマスに先輩に「新宿で鍋やってるから来い」と呼ばれ、「どこかの店でやってるのかな」と新宿に行ってみるとアルタ前で鍋をやっていた。アルタ前に着いてすぐに警察が来て四方を囲まれた。警察に囲まれるのは人生で初めてで震えるほど興奮した。

そして決め手はGLCだった。批判はあるかもしれないが、GLCの夜の宴会は僕の大学生活の中で1、2を争うほど面白く、明らかに異常な宴会だった。


短い期間だけど、大学を離れて他の場所も見て気づいた。

法政大学はとても豊かな場所だった。そしてこのころの法政大学は今よりもずっとずっと豊かだった。


何年大学にいるのかわからない人、外濠で泳ぐ人、大学に来てずっと酒を飲んでいるような人、夜しか大学に来ない人、サークルでの活動に全情熱を傾けている人…その中には過激派さえ普通にいた。



四年で大学を卒業していわゆる普通の社会人になる型抜きで大量生産されたかのような学生が多い中で、文連を中心とした円の中には異質で明らかに普通ではない人がたくさんいた。そしてその普通でない人はとても魅力的で、他の場所のどんな人よりも楽しそうに見えた。


大学には何だかよくわからない人や出来事がたくさんあって、何かが生まれそうな高揚感があった。
この場所にいればもっと楽しいことと出会えるんじゃないか、そう思って大学に戻ることを決めた。


僕の大学1年目は大学から離れた場所でこれからの大学での生活の期待感と共に終えた。
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Author:自由空間
先輩が作ったサークルが廃墟になってしまったので、かなり個人的に使っています。

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